「『こんなはずじゃなかった』からが人生」

高知から世界へ、パラスポーツの普及を目指すパラカヌー選手・小松沙季

24歳の時、突然両足と両手が麻痺し、車いす生活に。元バレーボールVリーガーの小松沙季選手はパラカヌーを始めてから半年で東京2020パラリンピックに出場しました。その背景にあったのは、バレー選手時代の経験とパラスポーツの価値を高めたいという思いでした。「『こんなはずじゃなかった』からが人生」と話す小松選手。進化し続ける理由には、ある「強み」がありました。

パラカヌー

カヤックやヴァーという競技用の艇に乗って、水上に設置された200mの直線コースのタイムを競う。小松選手はヴァー種目で競技活動をしている。ヴァー種目では、片側に浮力体(アウトリガー)のついた1人乗りの競技専用カヌーを使用し、パドルという道具で水をかく。使用するシャフトは、片側のみにブレードと呼ばれる水掻きがついている。一方、カヤック種目は、浮力体のついていないカヌーと両側にブレードがついたパドルを使用する。 


パラカヌーと出会ったきっかけ 

高知県四万十市生まれ。大学卒業後、バレーボールの進むトップリーグ「Vリーグ」2部に所属するブレス浜松に入団した小松沙季選手は、現役引退後にはバレーの指導者の道へ進もうと考えていました。そんな、新たにキャリアを進み始めた矢先のこと。朝の5時に目覚めた時に、上肢の痺れと下半身の麻痺を感じ、病院へ。

「脊髄神経根炎」と診断され、突如車いす生活となりました。バレーボールの道が絶たれ絶望的な気持ちになりながら、自分がこれからできることは何か、模索をしていました。そんな中、1通のメールが届きました。

それは、パラスポーツ関連の人からの「測定会に来ませんか」という連絡でした。測定会とは、パラ選手を発掘するイベントのこと。

小松選手が再びこの測定会については思い出すのは、開催が近くなった約半年後のこととなります。

約1年の入院を経て、地元へ戻った小松選手が目の当たりにしたのは、パラスポーツができる環境が整っていない現実でした。体力を戻すためにジムへ行っても、階段しかなく、1人で動き回ることが難しいことを思い知ったといいます。

そうして地元で過ごす中で思い出したのが、以前オファーのあった測定会でした。

「あまり深く考えず、体力測定に行く程度の気持ちで行ったら、私以外の人は競技用の車いすで参加していて(苦笑)。数種類のパラスポーツ団体が来ていて、声をかけてもらった競技の中にパラカヌーがあり、その時パラカヌーの存在を初めて知りました」

当時、高知県にパラカヌー選手はいませんでしたが、カヌーを練習する環境があったことが後押しとなり、「ここだったらカヌーができる」と考えた小松選手。

「パラスポーツの環境が整っている東京などを活動拠点にするのも一つでしたが、あえて高知県に残ってスポーツをすることで、環境が整備されていったら良いなと思いました」

そして2021年2月に、パラカヌーを始めることを決めました。


パラカヌーは目的を達成するための手段

本格的に練習を始めた2カ月後には初出場の2021年パラカヌー海外派遣選手最終選考会で2位の成績を収め、その後行われたICFパラカヌーワールドカップでの5位入賞。結果的に、東京2020パラリンピックの出場切符を獲得しました。その際に生きたのは、バレー選手時代の経験でした。

「ずっとスポーツをしてきたので、国際大会に出場する難しさはよく理解していました。その上で、どう練習に取り組み、最短で成長できるかを考え、調整していきました」

そして、競技歴約半年という異例の短さで出場を果たした東京2020パラリンピック。結果は惜しくも準決勝敗退。その結果を、「勝ちに行きましたが、自分の実力ではある程度どこかで”悔しい気持ち”になることは覚悟していました。その次のパリ大会に向けての糧になったと感じています」と受け止めています。

団体競技から個人競技への転向。自分のためよりも、チームの仲間のために頑張れるタイプの小松選手は、パラカヌーの競技を通して、自分で自分を高めることが求められると感じています。原動力になっているのは、次回2024年に行われるパラリンピックパリ大会でのメダル獲得、そして、その先にあるパラスポーツの普及だと言います。

「パラリンピックなど大きな国際大会でメダルを取ることで、説得力が増し、発信力が高まると思っています。将来的には、パラスポーツの価値を高めたい。パラカヌーはあくまでも自分の目的を達成するための一つの手段と考えています」


後ろを向いても、考え続けていきたい 

実際に、小松選手が地元でパラカヌーの活動をし始めてから、変化が出始めています。例えば、体育館の設備において、小松選手が不便に感じる点を体育館の職員に伝えることで、「会議の議題に出してみます」との明るい回答を得られるなど、実際に改善されてきた部分もあるといいます。

今後、小松選手が考えているのはパラスポーツのイベント開催。例えば、障がい者と健常者がペアになってカヌーの2人乗りをするなどして、パラスポーツの世界を知る機会を作ることを目指しています。最初は高知県から始めて、ゆくゆくは全国を渡り歩き、その土地にあるスポーツとコラボレーションする企画を検討していきたいといいます。

「周りからよく『障がいを持ったのに前向きですね』と言われますが、自分からしたら後ろを向くことだってあります」と話す小松選手。

「障がいを持った時、今までできていたことが、1人では何もできなくなってしまって……。自分は何て無力なのだと感じました。でも、『こんなはずじゃなかった』と思ってからが人生だと思っています。歩けなくなるのは苦しいけれど、そこで思考停止したら何も生まれない。どうせ苦しいのだったら、常に考えていきたい。車いす生活になっても、自分に何ができるのか、パラカヌーを始めた時もどうしたらパラリンピックに出場できるか、そして、地元に何が貢献できるかなど考えることをやめませんでした。その姿勢が、もしかしたら前向きな人間と捉えられているのかもしれません」

これからも「考えること」を武器に、そして、再び歩けるようになる希望を持ち、小松選手はさらなる成長を目指していきます。

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