「右手でやれたら」もれた本音に、友人が伝えた言葉

利き手を失ったパラ射撃選手・山内裕貴が言い訳をしなくなった理由

猟師の祖父に憧れ、幼少期から射撃に興味を持っていた山内裕貴選手。パラ射撃を始めたきっかけは、バイク事故により片腕が動かなくなったことでした。2014年に競技を始め、3年後には国際大会に初出場。その後、国内トップクラスの選手として世界で戦い続けています。そんな山内選手は、思うようにいかない時、自分に言い訳をしなくなったと語ります。その背景には、学生時代に友人から言われた「ある一言」がありました。 

パラ射撃

銃の種類(ライフルまたはピストル)や射撃姿勢(立ち姿勢や膝撃ち姿勢)によって決められたルール下で競う。山内選手の専門は「10mエアピストル」。エアピストルとは、空気の圧力で直径4.5mmの鉛製の弾を発射する空気銃のこと。立ち姿勢にて、10m先の的に75分間で60発を発射した合計得点の高さで勝負が決まる。 


祖父への憧れと、射撃への興味 

左手で構えた約1kgのエアピストルの照準を、10m先の的の中心部に合わせる。高得点となる10点を得られる範囲は、直径11.5mm。その1円玉よりも少し大きい的の中心に向かって、静かに空気銃のトリガーを引く。撃ったらすぐに、次の弾を片手で装填する。その時間はわずか1分。その一連の動作を、制限時間の75分間で60回繰り返す――。

パラ射撃の「10mエアピストル」を専門とする山内裕貴選手は、「以前はとても“遅撃ち(おそうち)”でした。制限時間内の残り30秒で最後の1発を撃ち終えることもあり、見ている人をヒヤヒヤさせていました(苦笑)」と話します。

60回の射撃の合計得点で勝敗が決まるため、1発の撃ち逃しが大きなビハインドを生み出します。そんな射撃に山内選手が興味を持ったきっかけは、小学生時代に遡ります。

「祖父が猟師でした。祖父の家には猟で採った動物の剥製があったり、時に祖父が自ら精肉した猪肉などを食べたりしていました。実際に動物を仕留める場面には立ち会っていないのですが、祖父といっしょに山に行って遊んだ楽しい記憶もあり、祖父への憧れはもちろん、銃についても昔から関心をもっていました。今はパラ射撃選手として活動していますが、障がいを負わなかったとしても、おそらく射撃はしていたと思います」


友人からの「言い訳するのはダサい」 

山内選手は17歳の時、バイクを運転中に自動車とぶつかり、右肩から右の指先までの神経を損傷。突如、利き腕が使えなくなりました。事故の際、後ろに乗せていた友人は重症だったものの、幸い後遺症は残りませんでした。

「障がいを負ったのが自分だけでよかったと思っています。もし、友人が障がいを負っていたら、その方がつらかったと思います。自分としては『生きとったし、これから何とかなるだろう』くらいの感覚でした」と事故当時のことを振り返ります。

高校卒業後は、母親の勧めもあり、パソコンの専門学校に通うことに。タイピングの速度や正確性が求められる日本語ワープロ検定の資格などを取得しました。使えるのは片手のため、キーボードの設定を変えるなど工夫をしました。

学生時代、バイト先の飲食店にあったダーツにハマった山内選手。事故後、左手はある程度使いこなしていたものの、微調整の動きが必要なダーツでは厳しさを感じることありました。ある日、友人と勝負をした際に負けてしまい、悔しい思いをした時のこと。

「つい『右手でやれたら』という言葉が口から出てしまったのですが、それを聞いた友人が『それはもう言っちゃいけない。右手が使えないことを言い訳にするのはダサい』と言ってくれて。もしこの時に甘く接されていたら、その後、言い訳ばかりしていたかもしれません。障がい者としてではなく、一友人として接してくれていたから出た言葉だろうと思います」


「自分も世界の舞台に立ってみたい」 

猟師の祖父、そして「狙う」遊びのダーツが好きだったことに加え、山内選手がパラ射撃を始める後押しとなったのは、オリンピック・パラリンピックで日本人選手が活躍するシーンを見た時でした。

「心が動かされて、自分も世界の舞台に立ってみたいという気持ちが芽生えました。片手でもできる競技を考えた時、やはり小さい頃から興味を持っていた射撃を選びました」

競技を始めた当初から、目標をパラリンピック出場に定めていた山内選手。

「シンプルにやってみたいというワクワクする気持ちに従った感じです。結果的に、地元の山口県には射撃練習場があり、日本障害者スポーツ射撃連盟の理事の方もいたので、最初に射撃の基礎的な部分を教わることができたのは大きかった」といいます。

射撃において、銃を握る「位置」は重要になります。健常者は利き手に銃を持ったまま、もう片方の手で弾の装填ができる一方、山内選手は装填の度に銃を持ち直さないといけません。射撃の練習はもちろん、そうした撃つ以外の練習も繰り返し、一連の動作を体に染み込ませました。


苦しい時に思い出す、ある笑顔 

集中力と精神力が求められる射撃。試合中、最高得点の10点が続いた時に「この試合は結構いい点数出そう」と思った途端、弾が乱れると話す山内選手。

「打つ動作に入って、打ち終わるまでの一瞬にいかに集中するか。ちょっとでも集中が乱れると、的の中心から大きく外れることもあります。そして、リズムも大事。『心技体』が求められる中、『今』そして『1発』に集中する難しさと楽しさが醍醐味です」

目下の目標は、パラリンピック大会への出場とワールドカップで実績を残すこと。さらなる成長を遂げるために、銃の握り方と撃ち方を変えました。現在、新しいスタイルに体と心をアジャストさせ、定着を図っているところです。

「これまでの撃ち方でもある程度の点数は取れますが、『世界』を目指すとなると、変化が必要だと思いました。まだ結果が伴っていませんが、徐々にコツをつかんできています。まずは、挑戦した自分を認めたいと思っています」

 

以前、地元で開催されたあるイベントに登壇した際、参加していた小学校低学年とおぼしき男の子とその母親から「いつもテレビで応援しています」と声をかけられました。

「その男の子の笑顔が本当にキラキラして眩しすぎて。世界を目指す中で、自分の活動を見てくれたり、笑顔になってくれたりする人の存在に気付かされました。苦しい時は、いつも彼の笑顔を思い出し、自身を奮い立たせています」

競技者として、パラリンピックの表彰台の上で国歌を歌うことを最終目標にしている山内選手。友人の言葉や男の子の笑顔を胸に表彰台を照準に定め、世界へ挑みます。

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