2度の絶望の先に見出した活路
CPサッカー選手・久保善暉の原点は「サッカーが好き」
10歳で1度目の脳出血が起き、19歳で再発した際、久保善暉選手は右半身の麻痺を負い、両目の半分が見えなくなりました。好きなサッカーができなくなり、「生きる意味が見出せなくなった」と振り返ります。どん底を経験するも、現在はCPサッカー選手として活躍する久保選手。自身の障害とどう向き合い、今の地位を築くに至ったのでしょうか。
CPサッカー
日本語名は「脳性まひ者7人制サッカー」。競技対象者は、杖を使わず、歩・走行可能な肢体不自由者。ルールは一般のサッカーと基本的に同じ。競技者は障がいのタイプや程度により、FT1(重度)、FT2(中度)、FT3(軽度)の3つのクラスに区分され、久保善暉選手はFT3に所属している。
2回目の脳出血で人生が一変
幼少期からサッカーが好きで、将来はプロサッカー選手を夢見ていた久保善暉選手を襲ったのは脳出血でした。小学5年生の時、サッカーをしていたグランドで突然、強く殴られたような頭痛がしました。何とか帰宅し、「風邪かな」と思っていましたが、その後自宅で倒れて痙攣を起こしました。救急搬送され、気づいたら病院のベッドの上に横になっていたといいます。脳出血があったためカテーテル手術をし、成功したと告げられました。その後の後遺症は特になく、これまでと同じようにサッカーに勤しむ日々を送っていました。
その9年後、大学2年生の時に再び悪夢が訪れます。
サッカーの練習中に相手とぶつかった時から頭が痛くなり、その痛みは刻一刻と増していきました。「これは脳出血だ」とわかったといいます。
気づいたらベッドの上に横になっていたのは以前と同じでしたが、決定的に違うことがありました。それは、発話ができなくなっていたことと、右半身をうまく動かすことができなくなっていたこと。脳出血を再発したことで、右半身の麻痺、失語症、そして両目の半分ずつが見えない「2分の1視野欠損症」を負いました。
ロービジョンフットサル日本代表になるも……
「人生終わった。好きなサッカーができなくなり、生きる意味あるのかな」
当時、激しく落ち込んだ時の心境を打ち明けます。
そんな中、両親が教えてくれたのがロービジョンフットサルでした。ロービジョン(弱視者)の選手が、マイマスク無しで音の出ないボールを用いる競技です。競技を始めて1年未満で日本代表に選出。「海外大会に出て、いい結果を残そう!」と意気込んでいた矢先、突如、代表選手を取り消しになってしまいます。
「その時の僕の視力では、代表選手になる基準に満たないことがわかりました。自分にはロービジョンフットサルしかないと思っていたので、『もうサッカーはできないんだ』と思いました。ショックでしかなかったです」
ようやくやりがいを見つけ希望を持っていた分、その振れ幅は大きいものでした。
再びどん底に突き落とされてしまった中、ある転機が訪れます。
「ロービジョンフットサル日本代表のキャプテンに『久保がするのは、麻痺を持った人がするCPサッカーなんじゃないの?』と言われて、CPサッカーの仲間を紹介してもらいました」
現実を受け入れた先に見据えたこと
初めてCPサッカーをした時のことを、こう思い返します。
「同じ脳出血や脳性麻痺の人ばかりだったので、自分はやっぱりCPサッカーなんだ、と。グラウンドで様々な障害を持っている人が競技を楽しんでいる様子が印象深く残っています」
最初はCPサッカーのルールに戸惑ったと振り返ります。
「サッカーとの大きな違いは、オフサイドがないことと、片手でスローインをして良いこと。一番難しかったのが、仲間のことを考えてプレーをしないといけないことでした。例えば、右足に麻痺を持っている人の場合、左足に向けてパスを出さないと相手はトラップできないので」
久保選手はボランチといって、360度を見渡し、ゲーム展開を考えるミッドフィルダー(MF)のポジションです。視野狭窄のハンデがあるため、相手とぶつかることは少なくありません。
「右利きでしたが、麻痺によって右足では細かい動きができなくなり、プレーの質は下がってしまい、ミスが増えました。脳にも障害があるので、判断が遅れる時もありますし、質問された内容を頭の中でまとめるのに時間がかかることもあります」
これまで出来たことが出来なくなり唇をかむこともありますが、新しいフィールドで目標を達成することを決意しました。その背景には現実を受け入れたことが大きく影響しています。
「長い期間、自分が負った障害を受け入れられませんでした。今は受け入れたからこそ、本気で世界ランキングトップ10入りを目指しています」
「自分がもっと日本のレベルを上げられる」
CPサッカーを始めた翌年に日本代表選手に選ばれた久保選手は、身長183cm、体重77kgという恵まれた体格の持ち主です。
「もっと日本のレベルを上げられると素直に思いました。それを自分がやらなきゃと思いました」
とりわけ守備力の高さには自信を持っていて、「1対1では誰にも負けません」と力強く話します。
以前に日本代表のキャプテンを務めた際、フィールドのオンオフを問わず、チームメイトたちに「体調どう?」など自分から声をかけて、チーム全体を把握していたといいます。個々の障害について把握しつつ、「基本的には誰にでも同じことを言います」と語ります。
「守備に関しては、みんな走る。それは障害の重さに関係なく誰でもできることなので、人によって言い方は特に変えません。サッカーは一人では勝てないので、守備も攻撃も連動するためにコミュニケーションが最も大切。思ったことはその場で言ってすぐ改善します」
直近の成績は、世界ランキング15位。目標とするトップ10への壁は高いものの、2028年に達成することを目標に日々邁進しています。今は、競技に専念できる環境を得られたことで、そのスピードは加速しています。
「サッカーが好きだからこそ、負けても、悔しいことがあっても、続けられています。サッカーが楽しいんです」
遠い将来はスポーツ関係の仕事がしたいと話す久保選手。
「CPサッカーを応援してくれる人に勇気をもらっています。どんな障害を持っていても、スポーツができることを伝え、広めていきたいです」
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