性格も障がいも異なる仲間の特徴を把握

元フットサルユースのCPサッカー選手・大野僚久のリーダーシップ

フットサルのユース選手だった大野僚久選手は、15歳の時に突然意識不明となり、右半身に麻痺が残りました。つらいリハビリを乗り越えた先に出会ったのは、CPサッカーでした。競技を始めて2カ月で日本代表選手に選出。障がいを「なったものはしょうがない」と受け止める大野選手は、世界一のCPサッカー選手になること、そして、再びフットサルのフィールドに立つことを目指します。 

CPサッカー

日本語名は「脳性まひ者7人制サッカー」。競技対象者は、杖を使わず、歩・走行可能な肢体不自由者。ルールは一般のサッカーと基本的に同じ。競技者は障がいのタイプや程度により、FT1(重度)、FT2(中度)、FT3(軽度)の3つのクラスに区分され、大野僚久選手はFT1に所属している。 


プレー中に襲ってきた突然の痛み 

将来は「Fリーガー」と呼ばれるフットサル選手になることを夢見て、ユース選手として活動していた大野僚久選手。15歳の時、ある日のフットサルの練習中、突然頭をハンマーで殴られたような痛みに襲われました。診察の結果は、脳動静脈奇形(AVM)という10万人に1人の確率で発症する病気でした。

視界がぼやけ、呂律が回らなくなり、あまりの痛さにのたうち回った記憶を最後に、1週間ほど意識がない状態が続きました。医師からは、右半身は使えないから左利きに直すことを勧められました。

最初は歩行すらままならかったものの、厳しいリハビリを経て、今では全力で走れるまでに回復した背景には、「絶対にまたピッチに立つ」という強い思いがありました。

「フットサルの仲間から『試合で勝ったよ!』と報告をもらうと、負けていられないなって。最初は痛みが伴うし、思うように体が動かないのですが、努力をした分だけ動くようになり、成長を感じるようになりました」


競技を始めて2カ月で日本代表選手に 

大野選手がフットサルを始めたのは小学6年生の時でした。そのきっかけは、ブラジルのフットサルリーグを見て、展開の速さやドリブルでの1対1などボール捌きのテクニックに魅了されたことでした。

障がいを負ってからも20歳まで健常者と一緒にフットサルをしていた大野選手。しかし、出場機会にはなかなか恵まれませんでした。そんな中、偶然インターネットで見つけた「CPサッカー」という競技。日本代表の枠もあることを知り、興味を持った大野選手はすぐに体験会に申し込みました。

「初めてCPサッカーをした時、皆笑顔でプレーをしていたことに衝撃を受けました。障がいを持っているとは全く感じなかったことに感動してしまって。日本代表選手になりたいという夢も叶えるべく、CPサッカー選手として活動することを決めました」

そして、競技を始めてからわずか2カ月で、CPサッカー日本代表に選出。

「自信はありました。長年フットサルをしていた経験が役立ったと思っています。病気をしてから、夢を諦めるのも、諦めないのも自分次第だと思いました。(病気に)なってしまったものはしょうがない。それだったら、自分を高めて成長したいと思いました」


意識的にコミュニケーションを取る 

フットサルで培ったスキルとたゆまぬ努力の結果、2018年にはCPサッカー日本代表の副キャプテンを任された大野選手。チームメイトを引っ張っていく上で大切にしたのは、性格も障がいのレベルも異なる各選手の特徴を把握することでした。

以前、日本代表チームが国際大会に参加した時、大野選手のリーダーシップが間接的にチームを勝利へと導いた出来事がありました。

「ミーティング中、ある選手があくびをしたことに、監督が激怒したことがありました。でも、その選手は病気の後遺症で疲れやすく眠くなりやすい体質だったんです。そのことを監督に伝えたことで監督も理解してくれて、それ以降言及はなくなりました。チームの雰囲気も良くなり、そうして一体感も強くなったことが結果へとつながりました」

チームスポーツのサッカーは、仲間との連携が肝になります。チームメイトの性格やモチベーションの度合いを把握するためにも、意識的にコミュニケーションを取ることを大切にしていると大野選手は言います。


「フットサルに回帰したい」 

高校卒業後、競技と両立して社会福祉士と保育士の免許を取得した大野選手。将来はこれらの資格を生かしてCPサッカーの普及や、パラスポーツやパラアスリートのサポート、サッカースクールで子どもたちに教えていくことも考えています。

現在、CPサッカーはパラリンピックの競技種目から外れてしまっているのが現状です。CPサッカーを盛り上げていき、認知度を高めていきたいといいます。

また、競技者としての夢は、CPサッカーにおいては世界一のプレーヤーに、そして、フットサルにおいてはFリーガーとして健常者と同じフィールドでプレーすることだと話す大野選手。

「Fリーガーになることは、小さい頃から目指していた夢です。ハンデを持った状態で競うのは難しいことはわかっていますが、フットサルに回帰したいという思いは今も持っています」


SNS発信に力を入れる理由 

大野選手はSNSを通しての発信にも力を入れています。そこには、同じ境遇の方やその家族に対して力になりたいという思いがあります。

実際、障がいを持つ子どもの保護者から、SNSを介してメッセージが届くこともよくあります。過去には、大野選手と同じAVMを発症したお子さんのことで相談をもらったことも。

「僕のアドバイスや活動する姿に『勇気をもらいました』というメッセージをもらうことがあります。うれしいですし、やりがいを感じます。講演の機会もあるのですが、特に小中高生には、『僕みたいな状況になるかもしれないから、この日常が当たり前と思わないで』ということを伝えています」

常に前向きで明るい大野選手ですが、「落ち込むこともあります」とはにかむ一面も。

「でも、明るい方がやっぱり楽しいと思うんです。落ち込むけど、切り替えは早いですね。やっぱり毎日健康的に生きることは大事。あと、笑顔も」

確固たる目標に向かってポジティブなエネルギーを放ちながら、大野選手は今日もピッチの内外で躍動します。

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