人のために生き、誰かの希望になる

30歳を超えて競技に“出会い直した”パラアイスホッケー選手・新津和良

高校時代、医学部進学を目指していたパラアイスホッケーの新津和良選手。その夢は叶いませんでしたが、「人のために生きたい」という思いは変わりませんでした。当時、車いすバスケットボール選手として活動していた中で体験をした、パラアイスホッケー。体験してみて「これは自分の競技だ」と確信しました。競技種目を変更後、早々に日本代表候補となった新津選手の根底にあるのは、今も昔も「人のために」という思いです。

パラアイスホッケー

1チーム15名で構成され、アイスホッケーと同じリンクを使用。専用のそり「スレッジ」に乗り、左右の手にスティックを1本ずつ持ってプレーをする。試合は15分×3ピリオド制。アイスホッケー同様にボディチェック(体当たり)が認められていて、「氷上の格闘技」と呼ばれている。


パラアイスホッケーは「お前にはまだ早い」

新津和良選手が、骨にできるがんである「骨肉腫」を発症したのは12歳の時でした。当時は「何か悪いことをしたから、罰が当たったのだろうか」と自問自答を繰り返したといいます。足を切断しなければならなくなった時、元々スポーツが好きだった新津選手は自分の意思で、手術後も運動がしやすいローテーションプラスティという手術方法を選択しました。

 ※ローテーションプラスティ:骨肉腫などの骨のがんの手術法の一つで、がんに侵された大腿骨を切除して、残った足先を前後反対にして残った大腿骨と結合させる手術法

入院中だった中学生の頃、同じ病棟にはパラアイスホッケー日本代表選手が入院していました。その選手の病室に行って、話をするのが日課だったと振り返ります。

徐々にパラアイスホッケーに興味を持った新津選手は、「僕もやりたい」とお願いしてみたところ、「お前にはまだ早い」と言われてしまったといいます。

「年齢が若いからか、がんの治療中だったからか、今となっては定かではないのですが、とにかく『ダメなんだ』と思ったのをよく覚えています」


7年間の浪人生活で味わった挫折

中学高校時代に、8回も肺へのがん転移が見受けられましたが、一度も“死”を意識したことはなかったといいます。主治医からは、「転移も多く、これだけ抗がん剤を使っても、生きていることはすごい」と言われるほど、過酷な抗がん剤治療に、のべ4年間向き合いました。

入退院を繰り返す中で芽生えたのは、「人の役に立つことがしたい」という思いでした。そして、医者になることを目指し、医学部への進学を試みました。しかし、抗がん剤の副作用と戦いながら、浪人生活を7年続けるも、桜は咲かず。年齢も20代半ばになった時、自分の気持ちに踏ん切りをつけ、医者になることをあきらめました。

「人生において挫折を味わった時期でした。7年間粘れた理由は、この病気になったことに、何か意味があると思っていたからです。今も病気になった原因は不明ですが、納得できていない気持ちをどうにかしたいという思いが、原動力になっていました」


自分より20kg大きい相手を吹っ飛ばす

そして、次に「人の役に立つ仕事」を考えた結果、公務員の職に就いた新津選手。当時は、車いすバスケットボール選手としても活動をしていた中、転機となったのはパラアイスホッケー選手に「パラアイスホッケーをやってみない?」と声をかけられたことでした。

「中学生の頃に『ダメ』と言われてから、すっかり忘れていたのですが、純粋に『やっていいんだ』と思い、さっそくパラアイスホッケーをしてみることにしました」

そして、体験をした時「この競技は、やっぱり自分の競技だ」と感じたといいます。

「最初はスレッジに乗っては転んで、進めても曲がれないから壁に激突して。全てが難しくて、でも、体を当てるフィジカルコンタクトができて。それが車いすバスケとは異なり、かつ、1番楽しいと感じた点でした」

車いすバスケからの転身には寂しさも覚えましたが、純粋にワクワクする方の道を選んだ新津選手。2018年末、本格的にパラアイスホッケーを始めました。

新津選手は、身長168cm、体重59kgと、決して体格は大きくありません。しかし、試合中は、「何をしてでも相手を止めてやる」という闘争心をむき出しにして、自分より20kg以上大きい相手選手を突き飛ばすことも。

「試合前、相手と対峙した時に毎回恐怖を抱きます。でも、その恐怖や緊張感を楽しむことができています。まだ競技を始めて5年ほどですが、世界のトップを目指しています」

30歳を過ぎてからパラアイスホッケーに“再会”できたのはうれしい一方で、「中学生の時に始めていたら、今頃もっと上手くなっていたかもしれない」と本音をこぼし、苦笑いをする一面も。


原動力は、「人のために何かしたい」気持ち

選手としての目標は、パラリンピック出場とメダル獲得。そこには、「世界を感動させたい」という気持ちがあります。

「この競技に取り組むことで、『勇気をもらいました』、『本当に感動しました!』などの言葉をかけてもらうようになりました。応援してくれる方からのエールが後押しになっています。自分の根底にあるのは、やっぱり人のために何かしたいという気持ちです。今後さらに、世の中に対して強い影響を与えていける存在になりたいと思っています」

まだまだ現役を続ける予定ですが、遠い将来はより多くの障がい者が、パラアイスホッケーをはじめとするパラスポーツに触れるきっかけを作りたいと考えています。

「何かきっかけがないと競技に携われないと思います。その橋渡し役になれたらいいなと考えています」

競技を通して、人の心を動かし、誰かの希望になりたい――。自分だからこそできる道を見つけた新津選手は、「絶対負けない」という強い気持ちで、対戦相手と対峙し続けます。

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