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悔しさの感情を原動力に「思い続けていたら願いは叶う」

“障がい=ネガティブ”から脱却したパラ陸上選手・有熊宏徳

うまくいかないことがあると「自分には障がいがあるから」と思っていた有熊宏徳選手。10代の頃は、健常者と比較する中で生まれる悔しさや、「どうせあいつが走っても」といった目で見られた時に感じた「見返したい」という感情をバネに運動に励み続けました。「障がい」をネガティブに感じていた有熊選手ですが、パラスポーツとの出会いにより、ある心の変化が起こりました。

パラ陸上・走幅跳/100m 

パラ陸上競技には、車いす、義足、視覚障がい、知的障がいなど、様々な障がいのある選手が出場する。脳性麻痺の立位の選手は35〜38の番号に分けられ、数字が若いほど障がいは重くなる。有熊宏徳選手のクラスはT38で、「T」は競争・跳躍種目を表す。ルールは、健常者の競技と同じ。 


走る度にムキになっていた 

有熊宏徳選手が初めて歩き出したのは、2歳を過ぎてからのことでした。一般的な歩き始めの時期より遅かったため、心配した両親に連れられて検査を受けたところ、左半身に麻痺があることが判明。脳性麻痺と診断されました。

物心がつき始めた頃、公園のジャングルジムの頂上まで登れなかったり、遊具で遊んでいるだけで疲れを感じたりと、思うように体を動かせないことをもどかしく感じていた有熊選手。それでも体を動かすことは好きだったため、水泳教室と体操教室に通い始めました。

「水泳に関しては、右半身のみで泳ぐ感覚をうまくつかめませんでした。周りの仲間がどんどん上のクラスに昇格していくのを、羨望の眼差しで眺めていました。水の中だと体が緊張してしまうことも相まって、自分には水泳は向いていないと思い、1年経たないうちにやめてしまいました」

こうした中、走ることに対しては人一倍執着していたと有熊選手は振り返ります。その発端となったのは、幼稚園時代の運動会での出来事でした。 

「初めてかけっこをした時、途中で転んでしまったんです。その時、会場が『残念だね』という空気になって。それ以来、運動会などで走る度にムキになっていましたが、『どうせあいつが走っても』といった見られ方をしたり、明らかに自分は期待されていないと感じたりすることもあって。それを見返したい気持ちと、悔しさの感情が、原動力になっていきました」

しかし、どれだけ歯を食いしばって走っても、健常者よりも速く走れないのが現実でした。10代の頃は、うまくいかないことがあると「自分には障がいがあるから」と思い、動かない左半身をネガディブに捉えていました。


出場した大会で新記録を更新 

転機が訪れたのは25歳の時でした。陸上をしていた友人の話に刺激を受け、全国障害者スポーツ大会の予選にエントリーしてみることに。100m走に出場したところ、好成績を収め、本戦に出場することになりました。 

「大会当日、目の前に広がる競技場を見て興奮したのを覚えています。本番のタイムも良かったこともあり、陸上を始めてみることにしました。その後、障がい者向けの陸上教室に通い、走る技術を教わるなどしていくうちに、徐々に陸上競技に傾倒していきました」

これまでは健常者と同じフィールドで戦っていましたが、パラスポーツと出会ったことで、活躍の場は広がっていきます。2018年には日本パラ陸上競技選手権大会の800mで日本記録を更新。さらに走幅跳でも才能を開花させ、2021年のジャパンパラ陸上競技大会では 100mの優勝のみならず、走幅跳の大会新記録を更新しました。その後も出場する大会において、次々と好成績を収めています。


障がい者スポーツ指導員の資格を取得 

競技を始めた当初から独学で練習に励んできた有熊選手ですが、現在はコーチと二人三脚で、技術面においてさらなる磨きをかけています。 

「基礎面や筋力のアップを図ったことで、タイムが0.5秒ほど速くなりました。まだまだ伸び代があると思っています。目標はパラリンピックに出場し、世界で戦える選手になることです」

そしてもう一つ、有熊選手が目標にしているのはパラスポーツの普及です。

「パラスポーツは、まだまだ内輪で盛り上がっていると感じているので、もっと外に開かれた存在にするための仕事や活動をしたいと思っています。まだ具体的なイメージはつかめていないのですが、街中でパラスポーツの体験を開催するなど、参加型のイベントが増えれば多くの人が関心を持ってくれるきっかけになるのではと思っています」

その一歩として、2022年、日本パラスポーツ協会公認の資格「初級障がい者スポーツ指導員」を取得した有熊選手。パラスポーツへの参加を希望する人の支援が可能になりました。今後は、指導員としての活動も視野に入れているといいます。


障がいをプラスに捉えるように

これまで何度も悔しい思いをしてきた有熊選手は、その中でも特に“しこり”として胸の中に残っている感情がありました。それは「泳いでみたい」という願望でした。そして2022年に再び水泳にチャレンジ。そこで驚きの変化が……。

「泳げるようになったんです!これまで陸上で培った体を動かす技術が生きたと思っています。強く思い続けていたら、叶うことがあると実感しました。陸上で記録を出したことより、うれしかったです(笑)」と顔をほころばせます。

何かを願う時、ただ手をこまねいているだけでは成就する可能性は低いものです。過去の「不可能」を「可能」にした要因は、有熊選手のこれまでの経験と、ひたむきな努力が実を結んだからに他なりません。

「今は、他者と自分を比べることをそれほどしなくなった」と話す有熊選手。それは、パラスポーツを通して出会った人たちの存在が大きくあります。

「パラスポーツをしている障がい者の人は、あまり障がいの話はしません。うまく体を動かせなくても、自身の障がいの特徴を生かしてプレーしています。その姿に触れていく中で、障がいというものをプラスに捉えるようになっていきました」

障がいとは何か。

その問いに対して、有熊選手は「スポーツを通して障がいというものを説明しようする自分がいます。でも、明確な答えが出るのはまだ先になりそうです」と話します。

これからもその答えを探求していく有熊選手。
その目は、生き生きと輝いています。

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