「今は死の恐怖より、生きているありがたみの方が大きい」

病気を機に変化した、車いすバスケットボール選手・小川祥汰の価値観

試合中、闘争心をむき出しに猪突猛進するタイプではなく、一歩下がったところからチームや全体を把握する冷静沈着なタイプ。そう自己分析をするのは、車いすバスケットボールの小川祥汰選手です。「先を見過ぎない」目標設定で、日本代表選手への階段を着実に登っています。病気になったことで変化した価値観が、小川選手を突き動かしています。

車いすバスケットボール

ルールは一般のバスケットボールとほぼ同じ。1チーム5人の選手がボールを奪い合い、ゴールにボールを投げ入れて、得点を競い合う。使用するコートやリングの高さも一般のバスケットボールと同じ。障がいのレベルによって1.0〜4.5の持ち点が定められていて、試合中コート上の5人の持ち点の合計が14.0を超えてはいけない設定となっている。


右脚に伝えた「左脚の分まで頑張ろう」

小川祥汰選手がバスケットボールに出会ったのは、小4の時でした。当時はゲームが好きな“インドア派”でしたが、両親からスポーツを勧められたことで、バスケをしてみることに。始めてみると、その面白さにのめり込んでいき、「将来はバスケットボール選手になりたい」との気持ちが大きくなっていきました。

そのような中で、左膝に痛みを感じ始めたのは高2の夏でした。当時は「よくある膝の痛み」と思っていたものの、高3に進学する直前の3月に、走れないほどの痛みを感じました。その時、初めて病院へ行き検査をした結果、足にできる“がん”の「骨肉腫」と診断されました。そして左脚を切断しなければならないと告げられました。

左脚を切断しなければいけないと決まった時、「バスケばかりしていたので、これから自分はどうしたらいいんだろうと途方に暮れた」と思い返します。
「これからの人生も共に歩んでいくはずだった左脚に、『ごめんね』という気持ちが芽生えました。その分、右脚には頑張ってもらうことになると思うから『左脚の分まで頑張ろうね』と心の中で伝えました」


車いす操作のスキルにはゴールがない

手術後、家族をはじめ、同級生や友人がお見舞いに来てくれたこと、そして、病気が発覚した後もこれまでと変わりなく周りが接してくれたことがうれしかったと振り返ります。

毎日痛み止めの薬を飲んでも激痛が走るリハビリに励んだ結果、日常生活は義足をつけて歩けるまでに回復しました。そして治療が終わり退院後、まずやりたいと思ったのはバスケットボールでした。すぐに車いすバスケットボールを始めましたが、しばらく汗をかくほどの運動をしてなかったので、プレー後に疲れ果て、ベッドの上にぐったりと寝そべる感覚が新鮮だったと微笑みます。

「車いすバスケでも、これまでと変わらずシュートを決めることができました。『楽勝かな』と思っていましたが、本格的に競技を始めると、車いすの操作の難しさに直面。思い通りに動けず、シュートを打てる位置にうまくポジショニングできなかったことが、悔しかったです」

競技用車いすの操作に関しては、ただ練習をするのみ。頭で考えずに操作ができるまでに、3年ほどかかったといいます。
「レベルの高い選手であればあるほど、車いすの操作スキルも格段に上がります。操作スキルに関しては、ゴールがないと感じています」


病気をしてから「死」を身近に感じるように

現在は日本代表候補選手になっている小川選手ですが、競技を始めた当初から日本代表を目指していたわけではありませんでした。

「先を見過ぎず、背伸びをしたら手が届くくらいの高みを目指し、がむしゃらにやってきました。その結果、まずはチームの中で試合に出られるようになり、続いて九州の代表選手となり、最近は日本代表の合宿にも呼ばれるようになりました。その時初めて、「日本代表選手になる』という目標を持つようになりました」

小川選手は、「その場の勢いで何かをすることはほぼない」と言います。
「祖母ががんで亡くなったということもあったので、病気をしてからは『死』を身近に感じるようになりました。元々慎重派でしたが、その性質はさらに増しました。一つひとつの選択の重要性を身にしみて感じているからです」

今も抗がん剤を服用し、治療をしながら競技を続けている中、一度、がんが肺に転移したこともありました。
「当たり前に生きていることが、本当に幸せなことだと思うようになってから、価値観が変わりました」

入院していた時、自分より年下の子どもたちが病気と闘い苦しむ姿を日々目にしていたと話す小川選手。
「病気が発覚した時、『死ぬのが怖い』と感じていました。でも、こうして23年間生きられていること自体、幸せだと思っています。今は死に対しての恐怖より、生きていることのありがたさの方が自分の中で大きな割合を占めています」


応援してくれる人に活躍する姿を見せたい

遠い将来についても、少しずつ考え始めています。IT系の専門学校を卒業しているため、将来はその技術を生かした仕事に就くか、もしくは、バスケットの指導者になるか、その間で、思いを巡らせています。

「とはいえ直近の目標は、日本代表選手になることです。病気になる前、競技ができること自体、当たり前だと思っていました。でも、そうではないことを知った今、自分と同じ病気の人や、入院している子どもたちに、治療をしながらでもこうして活動ができることを行動で示していきたいと思っています」

小学校、中学校、そして、現在所属している長崎県の社会人チームでも、キャプテンに任命された小川選手。その温厚な人柄と、チームと仲間のことを考えて動くキャプテンシーが、周囲からの信頼を集めています。

家族をはじめ、応援をしてくれている人に活躍している姿を見せたいと話す小川選手は、競技ができることに感謝をし、日々の練習に勤しんでいます。

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